菅フェニックス

小学生の皆さんへ

 皆さんが中学校で一つ上のプレーをしたいと考えているのなら、菅フェニックスで野球をすることをお勧めします。
 なぜ、菅フェニックスでプレーすることを勧めるのかというと、今皆さんが思っている野球のさらにひとつふたつ奥の野球を知ることができるからです。
 小学生の時の、ただ「打つ」「投げる」「走る」「捕る」だけではなく、例えば「相手の状況に応じたバッティング」「一緒に守っている仲間を信じて全力で投げるボール」「隙のない走塁」など、菅フェニックスで教わるプレーは小学校の頃とは全く違う野球です。
 さて、部活とは違い、土日祝日の短い時間ですが、菅フェニックスでの練習はとてもきついです。そして、そのきつい練習や試合を重ねていくうちに、一度は壁にぶつかることがあるでしょう。その時は、菅フェニックスの指導者に相談してみてください。皆さんにとってプラスになる答えのヒントをくれるはずです。
 そして、そのヒントを基に自分で答えを出せた時、きっとすごい事が起こるでしょう。自分自身が成長したことを感じられるはずです。
 僕の代は、その答えを出せた人が特に多く、とても強いチームになることができました。チームが強いと野球がもっと楽しくなります。自然と「もっと上手くなりたい。強くなりたい」と思い、努力するようになります。僕の場合は、仲間と夜に素振りやランニングをしたり、家で筋トレをしていました。努力が報われるのには時間がかかりますが、諦めないでください。必ず努力した分の結果が出ます。

 最後に、僕は菅フェニックスで高校でも野球を続けていく自信がつきました。同じように高校でも野球を続けたいと思っている人には、ぜひ菅フェニックスで思いっきり野球を学んでください。仲間と競い合いながら、楽しい野球生活を過ごせるよう頑張ってください。
橋 大和



   菅フェニックスでの誇り

 この菅フェニックスは五十年も続く伝統のあるチームです。その五十年の歴史の中にある伝統と誇りは想像のつかないものです。
 僕たちもその先輩方が培った伝統と誇りを引き継いできました。「先輩たちの誇りを背負っている中みっともない野球は出来ない」と全力で戦って来ました。
 先輩方が卒団するたびに伝統と誇りが積み重なりより重く大きく、大切な物になっていくと思います。
 僕たちもその伝統と誇りを引き継いできました。今度は後輩たちが引き継いでくれます。
 この様にチームの伝統と誇りはこれからもずっと引き継がれていくと思います。
 そして、この誇りは何時までも僕の背中を押してくれると思います。
大村 知己



菅フェニックスへの感謝

 僕が菅フェニックスに入団した理由は二つあります。一つ目は小学校で一緒にプレーしていた仲間が入団すると決めていたからです。もうひとつは、小学校の時の先輩が菅フェニックスに入団していて、とても礼儀正しく、野球が上手だったからです。
 このチームに入ったら僕も上手になれると思い入団しました。
 まず三年間を振り返ってみて思うことは「入団して良かった。」ということです。なぜそう思うのかというと、入団する前は挨拶すら出来なかった僕が、知っている人を見るとすぐに挨拶出来るようになったからです。また、監督をはじめとする指導者の皆さんの熱いご指導もありました。
 例えば、一人の指導者が数名の選手だけに厳しいノックを打つ「特守」です。打球の一球一球に指導者の熱意が感じられ、それに応えられるよう僕も集中してボールを追いました。
 これは身体面はもちろん、精神面でも鍛えていただきました。この菅フェニックスは野球だけではなく、中学生としての礼儀も同時に教えてくれる本当に素晴らしいチームでした。監督、指導者の皆様、三年間本当にありがとうございました。心から感謝しています。
 菅フェニックスでたくさんの経験が出来たのは、支えてくださる皆様のおかげと感謝して、今後の人生に役立てていきたいと思っています。

向 真治



菅フェニックスで学んだこと

 ぼくは、菅フェニックスで特に3つのことを学びました。
 1つ目は、礼儀の大切さです。返事や、あいさつをすることはもちろん、礼をするときのきちんとした形などを学びました。
 2つ目は、苦しいことに耐えることを学びました。苦しいときにネガティブな思考になってしまうとどんどん苦しくなってしまうので、体力トレーニングの時はポジティブに「もう何本終わった」と考えるようにしました。だから僕には、ポジティブな思考が身についたと思います。
 3つ目に、仲間の大切さを学びました。仲間と楽しいときも、苦しいときも一緒に頑張り、切磋琢磨しながら、互いに高めあいました。
 関東予選の県大会では、全員が全員を信じ、一丸となって戦い優勝することができてとてもうれしかったです。優勝できたのは、この最高の仲間がいたからだと思います。だからこれからもこの仲間を大切にしていきたいと思います。
 僕は、これからの人生を生きていく中で、フェニックスで学んだこと、経験したことを活かし、どんな壁に当たっても乗り越えたいと思います。
 代表、監督コーチの皆様、事務局の皆様、3年間ありがとうございました。
                               小林 光喜



主将として

 僕は主将として三年間チームをまとめてました。
 一、二年は、ゲームキャプテンとして、同学年を練習からまとめ、チームを一つにすることを意識してました。試合では、練習より適確に指示をし、間違いがあれば、周りの同学年の人達から指摘してもらい着々と今へと近づいていきました。
 二年の合宿で本格的に主将として、「負けなしのチームにする」という目標を自分の中でたて少しずつ負けが減少していき、チームメイト一人一人が「勝利」への意識が高まり三年になってから、全国予選の県大会の準決勝まで「負け」がありませんでした。
 その後の試合で何度か負けはしましたが、最終的には勝率が0.837という結果が残せ、自分の目標を達成することはできませんでしたが、この菅フェニックスで、主将として、今後に活かすことができるよい経験を積むことが出来になりました。
 この経験を活かし、高校でも頑張りたいと思います。
新舘 豊尊



フェニックスで学んだこと

 自分が菅フェニックスで約2年半学んできたことは、野球の技術だけでなく礼儀の作法や年が上の人との接し方などこれから高校に上がる際に必要な社会的なコミュニケーション力など野球以外にもたくさんのことを一杯学ぶことができました。
 もちろん、野球の技術の面で学ぶこともたくさんありました。2年半で自分は今までとはまったく違う野球を学んだ気がします。まず小学校のころ勝つことにそこまでこだわっていませんでした。
 しかし中学で野球をやってからは、勝つことが一番大事と分かりました。この勝ちにこだわる野球を知ってから野球がさらに楽しくなりました。たくさん勝てばその分色々な相手と試合ができる喜びがとても新鮮でした。
 高校でも自分は野球をやるつもりです。なので菅フェニックスで学んだことを忘ず頑張っていきたいと思います。
   篠崎 努



フェニックスを卒業して

 僕はフェニックスに入っていろいろな事を学びました。その中で特に、印象に残っていることが二つあります。それは、継続することで生まれる価値、もう一つは礼儀です。
 フェニックスに入部したとき僕は礼儀という物が全然身についていませんでした。しかし、フェニックスに入ってから厳しい御指導のおかげで、しっかり敬語が使えるようになり、また、それを自然と話すことができるようになりました。
 次は、継続することで生まれる価値です。これは言葉どおりで、土日と祝日、毎週がんばって続けたあの日は、厳しさと、苦しさのおかげで、とても価値あるものになりました。
 フェニックスは、厳しい練習をがんばって続けると、ものすごい価値になることも教えてくれました。
 ぼくは、高校生活にこれらフェニックスで学んだ事を全で手に持って、必ず有意義な日々をすごしたいと思います。
萩山登



この三年間を振り返って

 僕は、菅フェニックスで過ごした3年間は今後忘れられないと思います。
 僕は、菅フェニックスに入団して1年生の4月から試合に出させていただきました。そこで菅フェニックスの伝統と歴史の重圧(プレッシャー)を学びました。
 菅フェニックスの象徴といえる黒と白の縦じまのユニフォームを着ると自然と自分が思っている以上に緊張しました。この緊張を感じられるのも歴史のある菅フェニックスだからこそだと思います。
 最後の1年間。
 僕達の代はメンバーが揃っていて、とても良い結果を残す事が出来ました。良い結果は出てとても嬉しかったですが、僕はその中でこのいいメンバーが揃った中で負けてはいけないというプレッシャーを感じながら投手をやらせていただいたので勝った試合よりも負けた試合が頭に残っています。
 僕は「勝った試合で学ぶのではなくて負けた試合で学ぶことが成長への近道だ」というあるスポーツ選手の言葉を学童野球の頃に聞いたのを覚えています。学童野球の頃は意味が分からなく勝った試合しか覚えていませんでした。しかし、2013年は負けた試合の印象が鮮明に残っています。なぜならその言葉の意味がわかったからです。
 菅フェニックスでは学童野球の頃の自分の考えと360°変えてくれます。また、考えを変えてくれる指導者がいて、指導者のみなさんには本当に感謝しています。
 最後に小学生のみなさんへ、菅フェニックスで過ごす三年間はとても辛いこともあります。しかし、歴史・伝統のあるチームなだけにやりがいがとてもあります。僕はこの三年間、菅フェニックスで野球をして後悔はしていません。是非菅フェニックスで野球をしてください。
大畑 友介



菅フェニックスの魅力

 私が思うフェニックスの魅力は私達に野球を教えてくれた指導者の方々です。
 なぜなら私達が強く、上手く、勝てるチームになるように一緒に全力で野球を教えてくれたからです。指導者の方々のおかげで今年の成績があり、また今の自分があると思います。
 私は最初、試合に帯同させてもらうことができず悔しい思いをしました。
 しかし、練習に残ってくれた指導者の方々が、私や試合に帯同出来なかった他の仲間のために、一生懸命野球を教えてくれました。そのおかげで一年生の終わり頃から徐々に試合に帯同させてもらえるようになり、二年生の始めごろからは試合に出してもらえるようにもなりました。
 三年生になってすぐに怪我をしてしまったのですが、それでも私のことを監督は使い続けてくれました。そのおかげで夏の関東県予選では優秀選手賞をもらうことができました。とても嬉しかったです。指導者の方々にはとても感謝しています。
 フェニックスは実力主義です。実力をつけるためには、指導者の方々の言う事を素直に聞き、それをものにするために選手自身がどれだけ努力するかだと思います。選手の態度、努力を指導者の方々は見ています。そして頑張っている選手にはチャンスをくれます。それをものにできてもできなくても、そこから学んだ反省を生かして練習をしてください。
 また、もし試合に出ることができない時期があっても諦めないで努力してください。私のように、きっとやってきてよかったと思う日が来ると思います。
堀口 洋太



フェニックスで得た物

 僕はフェニックスに入って得た物は、仲間の大切さです。フェニックスはレベルも高く練習もきびしかったです。
 そんなきびしい練習に耐えられたのは一緒にいた仲間のおかげだとおもいます。
 仲間がいたから厳しい練習を楽しくやる事ができました。
 三年間いい事だけではありませんでした。試合で自分のせいで負けて泣く事もありました―最後の大会で自分が走塁ミスをして負けた時は野球をやめたくなりました。そんな時にその試合で3塁コーチャーをしていた仲間に『俺がGOのサインを出していたから、根本は悪くないよ』と声をかけもらい、その試合のピッチャーで内野ゴロを打った選手からも『根本のせいではないから、気にするな』と言われて、野球を続けたいとおもいました。
 あの時、仲間がいなかったら野球をやめてました。ライバルでもあり親しい仲でもあった仲間は一生の宝物だとおもいます。
 仲間には本当に感謝しています。フェニックスで皆と三年間野球ができてよかった。
 三年間ありがとう。
           根本 拓馬



仲間の大切さ

 僕がフェニックスに入部してすぐの練習で、小学校の時の練習より10倍ぐらい辛いと思いました。しかし僕は、同学年の皆が一生懸命練習しているの見て、負けずに頑張りました。
 試合の時は、僕がミスをしてしまっても皆がカバーしてくれたり、「ドンマイ」などの温かい声をかけてくれたのでとても試合を楽しむことができました。
 合宿では、普段の練習より格別に辛い練習をしました。しかし、普段の練習を頑張ってきたので、なんとかみんなで乗り越えられました。でも、練習より辛かったのは食事です。普段の2,3倍ご飯が多くて食べるのがとても大変でした。その時も僕は、皆が食べているのを見てなんとか食べることができたり、皆が少し食べてくれたりと、僕は皆にとても助けてもらいました。
 3年生になり、目標としていた全国大会には出場できませんでしたが、関東大会に出場することができました。それは、皆が一つになり目標に向かって突き進んだからできたんだと思います。
 長かったようで短かった3年間。最初は「やめたい。」と思っていましたが、今になると「もっと皆と野球がしたい。」と思うようになりました。フェニックスでの3年間はとてもいい思い出になりました。3年間で学んだ事をこれからの生活に生かしていきたいと思います。
 監督、コーチ、代表、事務局の皆様、育成会の皆様、3年間お世話になりました。

 島 拓斗



監督・コーチへの感謝・恩返し

 私は監督・コーチに感謝しています。野球での技術向上だけではなく礼儀の基本であるあいさつまでしっかり教わりました。
 私達の技術向上のために忙しい中、休日の練習だけではなく平日の自主練習にも来てくださり指導してくださる監督・コーチはすごいと思います。
 私はチームのために頑張る監督・コーチに恩返しをしなければと最後の一年を過ごしました。
 多くのタイトルをとること。これが最大の恩返しだと考え、頑張りました。結果は多くのタイトルをとることもでき、恩返しをすることができたと思います。
 しかし、恩返しはまだまだ続きます。監督、コーチに教わったことをこれからの高校野
球にも生かして活躍することです。この恩返しもできるように頑張りたいと思います。

星 雄翔



菅フェニックスを続けて得たもの

 ぼくが3年間菅フェニックスを続けて得たものは、数えられない位ありますが、特に得て良かったと思うものは仲間です。
 ぼくは菅フェニックスに入って、今まで以上に野球が好きになりました。それは、仲間達と強く楽しい野球ができたからだと思います。
 また、入団当時より、技術面も精神面もとても成長したと思います。これも、辛い練習は1人ではなかなかできなく、自分に負けてしまったりもするけど、仲間と一緒なら、自分だけ負けてたまるかと、練習を乗りこえられたからだと思います。
 良い仲間に出会えるといいチームになり、強いチームにもなると思います。
 また、監督やコーチ、スタッフの方々も1人1人にあった適切な指導をしてくれました。どこで野球をやろうか考えている人がいて、強く、楽しい野球がしたいと考えていたら、是非、菅フェニックスに入団したら良いと思います。

谷原悠介



菅フェニックスでの三年間

 ぼくは、菅フェニックスにいた三年間で多くの事を学びました。菅フェニックスの練習はとても辛いです。でもぼくは三年間がんばって耐えてきました。しかし三年間がんばってこれたのは自分一人の力ではありません。
 ぼくには、苦しい時には共にふんばり、楽しい時には共に笑い合う仲間がいました。先輩にも同級生にも後輩にも恵まれた三年間でした。
 また菅フェニックスは、野球のクラブチームです。野球の技術への指導がとてもしっかりしています。クラブチームの良い所は、部活動と違い野球専門の監督やコーチがいることです。監督やコーチは、ぼくたちを野球が上手くなるように教えてくれます。そのため怒る時は本気で怒ります。
 ぼくも最初は怖いだけかと思っていたけど三年生に近づくに連れ、ただ怒っているのではなく、ぼくたちの事を思い怒ってくれているのだという事も分かってきました。
 もう一ついい事は、まとまりです。クラブチームには色々な地域の中学校から人が来ます。三年間でたくさんの人と出会えたし自分の持っている人間の輪が大きく広がりました。
 今思うと本当にいい三年間でした。菅フェニックスで学んだ事を今後の人生にも生かしていきたいです。そして三年間お世話になった方々に感謝したいです。

藤田 裕介



野球から得たもの

 私が菅フェニックスで3年間野球を続けられたのは監督・コーチ・スタッフの方々の支えがあったのはもちろんですが、それ以上に互いに切磋琢磨し合った17人の仲間がいたからです。
 私達の代は最初20人が入部しました。人数が多いだけでなく野球センスもあり、学童野球の強豪チームで活躍していた人もたくさんいました。その中で自分はやっていけるのか、3年生になっても試合に出られないんじゃないかと、とても不安になりました。
 最初は同学年の約半分が上級生の試合に帯同させてもらっている中、自分は多摩グラで居残り練習をする日々が続き、とても悔しい思いをしました。
 新人戦が始まってもスタメンで出ることができない中、弱気になった時期もありましたが、仲間の励ましもあってこのままでは終わらないと強い気持ちをもって平日の自主練をすべて参加し、地道な努力を続けた結果、オープン戦、開幕戦で活躍できその後多くの試合に出場することが出来ました。
 後輩の皆さん、試合に出られなくても決してあきらめず努力を続けて下さい、菅フェニックスは伝統ある強豪チームで実力主義ですが、監督・コーチは努力を続ける人には必ずチャンスをくれます。また、全員の野球レベルが上がり、チームが勝ち続けることでどんどん経験も積まれ、野球が楽しくなります。
 私は菅フェニックスで素晴らしい仲間と、あきらめないで努力を続けることの大切さを学びました。3年間ありがとうございました。

寒河江 航大



高校野球への道

 私は、この三年間で人として強くなれたと思います。そう思う理由は、辛く、悔しい思いを経験することが出来たからだと思います。
 私の代のフェニックスは、とても強く、個々人の能力が非常に高かったです。
 その為、レギュラーメンバーに入るため私は必死で努力しました。すると監督は、私を代打として使って下さるようになりました。私はこの時「頑張っていればチャンスは来るんだな」と感じました。ですが、試合に出させていただいても結果を残せないと意味がありません。私の場合、何度チャンスを頂いても、結果を残すことが全く出来ませんでした。私の心の中では、「何故こんなに頑張っているのに?・・・」という思いが強くなっていきました。
 何度もチャンスを与えて下さっている監督の気持ちや、私に代わってベンチに下がる選手の気持ちを考えると、本当に申し訳なかったです。
 そんな時、監督から言われた言葉を思い出していました。
 「頑張っていれば、いつか必ず報われる」私はこの言葉を信じて頑張り続けました。しかしそれでも、結果を残すことが出来ず卒団式を迎えてしまいました。
 とても悔しかったです。ですが決して私は野球を嫌いにはなりません。中学野球で晴らせなかった思いを高校野球で晴らしたいと思っています。このまま野球をやめたらなんだか‘負けたみたいになる気がして、それももっと悔しいので続けます。そこで中学時代の努力が無駄ではなかったことを証明します。
 私は中学時代の努力が無駄だったとは全く思っていません。その努力が今度は高校で報われると信じています。人の何倍もの努力をして喜びを得られたときは本当に嬉しいです。どんなことがあっても挫けず、負けない、そういう人が最後は勝つのだと思います。
 だから私はまだまだ努力をし続けます。高校野球で成功することを信じて。

柳田 悠希



菅フェニックスで学んだこと

 僕は、菅フェニックスで三年間野球をやってきて、いろいろなことを学びました。技術はもちろんですがそれ以外で特に学んだことが2つあります。
 1つ目は、礼儀作法です。礼儀作法をこんなに細かく教えてくれるチームは少ないと思います。また、礼儀作法を野球を通じて教えてくれます。だからいつの間にか出来るようになっていました。菅フェニックスで学んだ礼儀作法はこれから生きていく糧になりました。
 2つ目に学んだことは、野球は1人では出来ないということです。僕は、2年生の夏まであまり遠征に連れて行ってもらえず、グラウンド練習をずっとしていました。
 応援として試合に行った時も、応援しても、結果は変わらないと思いながら応援をしていました。ですが、自分自身が3年生となり、ベンチに入って、試合に出ている時に、ベンチ外のみんなの応援に何回も励ましてもらいました。
 みんなのおかげで頑張ろうと思うことが出来たし、それが良い結果につながったのだと思います。野球は団体競技です。野球は試合に出ている9人とベンチの11人とベンチ外のメンバーのみんなの力が勝利につながるのだと改めて学びました。
 菅フェニックスで学んだことはこれから先につながることばかりです。菅フェニックスで学んだことを活かし高校でも頑張ります。
 監督・コーチ・スタッフの方々、三年間ありがとうございました。

荒砂 大輝