菅フェニックス

「あの言葉」を信じてきて良かった

 僕が菅フェニックスに入団した理由は二つあります。
 一つ目は、小学校からの友達が入部を決め、一緒に野球がしたいなと思ったこと、そしてもう一つは、体験会のときに監督から言われた言葉が印象的だったことです。それは、「俺はお前らを絶対に強くする」という心強い言葉でした。その自信に満ちあふれた言葉に、「僕はこの言葉を信じよう。この監督についていこう」と、入団を決意しました。入団してからも、「バットスイングのここをこうするとよく飛ぶようになるぞ」という指摘をいただき、実践したらその日のうちに結果がでたこともありました。
 しかし僕は1年生の夏から2年の春まで怪我が続いてしまい、一時期野球が全くできず、つらい時期もありました。そんな中でも、練習中や練習の後にもたくさん声をかけて下さった指導者の方々や家族、チームの仲間の支えがあって、ケガが治ってからは試合にたくさん使っていただくことができ、卒団までやり通すことができました。
 練習は小学校のときよりも一段と厳しいものでしたが、「フェニックスの野球」で、技術だけではなく、あきらめずに粘る精神や礼儀についてもたくさん学びました。このチームで経験したつらくて楽しかった3年間は、僕にとってかけがえのないものになっています。
 今思い返すと、「あの言葉」を信じてきて良かったと思っています。フェニックスに入団するきっかけと3年間のご指導を頂いた監督やコーチ、そして応援して下さった事務局の皆様やチームの仲間、そして両親に感謝しています。
ありがとうございました。

矢澤 拓登


「菅フェニックスへの感謝」

 私がフェニックスに入部した理由は二つあります。
 一つ目は小学校のチームの先輩方がフェニックスに入部していて、憧れていたので、入りたいと思いました。
 二つ目は実際に体験会に行き、監督、コーチの方々の熱い指導に魅力を感じたので、自分もこのチームで野球をしたいと思いました。
 フェニックスに入りたての頃の自分は練習についていくことで精一杯でした。二年生になると自分の一つ上の先輩方が少なかったので試合に出してもらえる機会も多くなりました。ですが試合に出る機会がやってくると、楽しみというよりも緊張の方が大きくなってしまい、上手く結果を残せませんでした。そんなときでも先輩方はアドバイスをくれたり、チームの仲間は励ましてくれました。そして監督やコーチの方々は自分にチャンスを与えてくれました。
 その中でも私が印象に残っている試合があります。それはコールドゲームで完敗した試合でした。私はキャッチャーで試合にでていて、その日のピッチャーは後輩でした。なかなかサイン通りのコースにボールがこなくて上手くリードをすることができませんでした。ベンチに戻ると監督からコースに対しての指摘が出て、「なぜ自分が怒られるのだろう、構えたところにボールを投げられない方がいけないのではないか」と思っていました。
 そのあと元東京ヤクルトスワローズにいた古田敦也選手の本をきっかけに自分の考え方が変わりました。その本には、「要求したところに投げないから打たれるのだという考え方のキャッチャーがいたとしよう。しかしこういう考え方で臨んでしまうと当然のことながらバッテリーは一体となれない。キャッチャーはチームから信頼されなければいけない」と書かれていました。
 そこで私はあのときタイムをとって間をあけていたらどうなっただろうか、ベンチに戻ったときに何か話せなかっただろうか、信頼されていたのか、と考えました。監督が怒ったのも先輩の私が後輩を強く引っ張っていく姿勢が見られなかったからなんだと考えました。あの試合や監督の考え方がさらに自分の野球観を広げてくれました。そしてもっと野球を知りたいと思いました。
 三年生になると後輩がついてきてくれて、チームの仲間が支えてくれました。私はフェニックスにいた三年間に関してすべての人に感謝しています。
 監督やコーチの方々がくれたチャンスに期待通り、応えられたかはわかりません。ですが私はこの経験を高校に行っても生かしていくことが監督やコーチの方々への恩返しだと思います。そして最高の仲間もできました。フェニックスは私にいろんなものを与えてくれました。三年間フェニックスで過ごした日々は本当に楽しく、最高の思い出になりました。菅フェニックスの関係者の皆さん三年間、本当にありがとうございました。
                                             延原玄太


「様々な事を学んだ三年間」

 僕がフェニックスに入部した理由は二つあります。一つは及川相談役による熱烈な勧誘があったこと。もう一つは体験練習に参加した時に監督やコーチの丁寧な指導があり、フェニックスでなら三年間、野球ができると思ったからです。
 僕は、三年生の五月に肘を痛めてチームに迷惑をかけることがありました。野球と少し距離をおいた期間はやはりつまらなかったのですが、そこで僕は改めて野球が好きなんだと感じました。なので、この経験は自分を見つめなおすいい機会だったと思います。そして、肘が治ってからは監督にバッティングについて指導して頂いたおかげで調子が上がり最後の大会をいい形で終わることができました。
 僕はピッチャーという試合において最も重要なポジションをやらせていただきました。その中で最高の仲間に出会えたと感じる瞬間がありました。それは、僕がヒットを打たれた時や四球を出した時に捕手や内野、外野そしてベンチから声をかけてもらった時です。僕はこの声かけがあったからピッチャーを続けて来れたと思います。そしてピッチャーをやったことで他の人とは違うことを学べたと思います。
 フェニックスの練習は厳しく嫌になることもありました。ですがそこにあるのはつらい練習だけではなく、仲間と協力することで違う何かが見えてくると思います。「つらい練習を嫌々やるのではなく、楽しく練習した方が長続きし、より自分の力になる。」これはある陸上選手の本の一説です。僕もそう思います。フェニックスは野球の技術以外にも礼儀を教えていただきました。僕はフェニックスに入るまで礼儀に関してあまり関心を持っていませんでしたが礼儀を学んだことが私生活でも生かされました。これは、とても大事なことなのでこれからも継続していきたいと思います。
 最後に、この菅フェニックスで三年間野球を続けられたことは、高校に行って野球をする時に必ず自信になると思います。また高校に行って野球をすること、そして高校で活躍することが三年間指導してくださった監督、代表、コーチ、スタッフの方々への一番の恩返しだと思います。また、それは三年間サポートをしてくれた両親への恩返しであると思います。なので僕は高校に行っても野球を頑張りたいと思います。
 監督、代表、コーチ、スタッフの皆さん、三年間ご指導ありがとうございました。

福島 悠太


 「フェニックスに入って得た物」

 僕がフェニックスに入って得た一番の物は、努力する事の大切さです。
入部当初から、野球が上手くなかった僕は、どうせやっても上手くならないと思い込み、本気で努力をしませんでした。時も流れ、二年の夏、僕は重要な大会でベンチに入ることが出来ませんでした。
 引退間近であった三年生を助けられなかった事と、ベンチに入る事が出来なかった事がとても悔しくて、それ以来必死に練習をしました。冬の練習も積極的に声を出し、チームの雰囲気を盛り上げるように努力しました。すると、努力とともに実力も付いていきました。そして、春の全国大会の予選という大切な試合にレギュラーとして出場する事が出来ました。
 フェニックスに入り、努力の大切さを一番学びました。また、僕の事をここまで育ててくれたのは監督コーチをはじめとする指導者の皆さん・育成会の皆さん・そして父・母のおかげです。
 もし、フェニックスに入部しようと考えている人がいれば、努力することを忘れずに、是非入部してほしいと思います。 

酒井 優作


「菅フェニックスから学んだ事」

 僕がフェニックスに入部した理由は、体験見学の感動です。先輩のプレーのスピード、打球の飛距離、真剣な目つきと、監督、コーチの熱心な指導に見とれて入部を決めました。フェニックスで三年間、野球が出来て本当に良かったと思います。
 フェニックスの一番良いと思うところは、指導が統一されているところです。統一された指導方針により迷わず野球をする事が出来ました。と同時に、なぜそうするのが良いのか理由も含めて教えて頂きました。
 僕が小学校の時は監督、コーチからバッティングの指導を受けて「脇を絞めろ」「バットは上から下にたたきなさい」などただ「〜しなさい」と言われるがままやっていました。しかし、何故そうするのか?が僕にはわかりませんでした。監督、コーチに別々な理論を言われ続け頭は混乱していました。
 僕は監督からバッティングの指導を受けました。小学校の時は感覚でやっていた僕のバッティングはフェニックスに入った事で変わりました。まず監督から指摘された事は小学校の時と同じでした。「右肩が上がっている」僕は「右肩が下がると何がいいのだろう?」と思いました。監督は「右肩が下がると、ヘッドが立ってあごが絞めれるからボールを良く見る事が出来る。更に右脇も絞まりボールに力が伝わる。」と僕に丁寧に教えてくれました。本当に解りやすく指導していただき感謝しています。僕はこの時初めて理論的なバッティングが大切だと知りました。
 フェニックスに入部して監督、コーチから守備について学びました。「ボールは左足の前で捕りなさい」と皆同じ事を言われました。また、「左足の前で取れば次に投げやすいから」とか「ミスをしても体で止められる」などちゃんと理由があって指摘されたので自分も納得できました。
 高校でもフェニックスで学んだ事を常に意識してがんばりたいと思います。
 本当に3年間ありがとうございました。
青柳 雄貴


「菅フェニックスで学んだこと」

 僕は、菅フェニックスでの3年間で「野球の本当の楽しさ」と「レベルの高い技術」を教えていただきました。
 監督、コーチの方々は、一人ひとりの選手に合ったアドバイスをくださるだけでなく、実際にプレーしてみせて教えてくださったのでとても理解しやすかったです。
 監督のバッティングのグリップの位置の説明や、及川コーチのピッチングの体重移動の仕方は、特に印象に残っていて今でもよく思い出しながらプレーをしています。
 監督は本当は勝ちにこだわる方ですが、いつも試合前には「試合に負けたらおれのせいで、勝てばお前たちが喜べばいい」と言ってくれます。その言葉を聞いて、全員がミスを恐れず試合で思いっきりプレーできたと思います。
 また、菅フェニックスは実力主義なので、いろいろな場面で自分からアピールすることの大事さや、試合に出るために人一倍努力することの大切さを学ぶことができました。監督、コーチの方々は選手全員に、必ずチャンスを与えてくれて、いつでも僕たちのことを見ていてくれたので、地道な努力も続けることができたのだと思います。
 僕は、高校でも野球を続けますが、菅フェニックスでの様々な経験を活かして頑張りたいと思います。
 三年間本当にありがとうございました。

高田 英和


「菅フェニックスで学んだこと」

 僕が菅フェニックスで学んだことは、『野球の技術』と『礼儀作法』です。
 菅フェニックスが他のチームより良いところは、監督やコーチが実際に見本を見せてくれることです。バッティングでは、良い例とダメな例で実際打って、それぞれの違いを分かりやすく教えてくれます。守備でも、落下点への入り方、捕球態勢など、分かりやすく教えてくれ、悪いところを見つけるとすぐに教えてくれるので、内容の濃い練習を行うことができます。そのおかげで、僕は多くの野球の技術を学ぶことができました。
 礼儀作法では、練習の時に大きな声で返事、挨拶をすることで、普段の生活でもしっかりと挨拶ができるようになりました。礼儀作法は、大人になっても必ず必要なことだと思うので、そういったことが学べることも菅フェニックスの特長だと思います。
 僕は、人前に出ることが嫌いでした。しかし、菅フェニックスに入団して、試合に勝って笑ったり、負けて泣いたり、監督やコーチに怒られたり・・・そういった時間を過ごしていくにつれて、だんだんと人前に出ることが嫌じゃなくなりました。そのおかげで、中学3年では、体育祭応援団や委員長といった、人前に出る仕事も普通にこなすことができました。
 僕が3年間、菅フェニックスで学んだことは一生消えないと思います。そしてこれからも菅フェニックスOBとして、その名に恥じないよう自分の夢へと真っすぐ進んでいけるような人になりたいと思います。
 今、入団するかしないか迷っている人は、菅フェニックスに入団したほうが絶対いいと思います。他のチームでは学べないことをたくさん教えてもらえ、卒団する頃には「あの時、入団してよかった」と思えると思います。
 僕は菅フェニックスが大好きです。そして野球が大好きです。暇なときは多摩グラへ遊びに行くので、よろしくお願いします。
岡野 将也


「〜小柄な選手に向けて〜」

 野球は、背が高く、体格がいい方が有利だと思う。だけど諦めないでほしい。
 私は入団当時、140cmぐらいの身長で、一番小さかった。
 パワーもあまり無かったから、ボールを遠くまで打てなかった。
 頑張って遠くへ打とうとしているうちに、バッティングフォームが崩れてしまっていた。
 ある日コーチに、「大振りになっている。お前は体が小さいのだから、遠くへ飛ばすのではなく、野手の間を抜くような打球を打つようにしろ。」と教えられた。それから自分の考えが変わり始めた。
 球を飛ばす事は、体格の良い人と比べたら負けるだろう。
 だから、そのような人達に負けない事をやろう!
 私はバントやヒットエンドラン、選球眼で他の人に勝とうと考えた。
 これらは体格など関係ないし、試合でも意外とカギを握っているプレーだ。
 それらの練習に力を入れた結果、上達して試合でバントやエンドランを決める事ができたし、試合に出る回数も増えていった。
 この話で言いたい事は、他の人に負けないプレーを作る事、バントでも盗塁でも良い、とにかく 自分の得意なプレーを1つでも作ろう。すると、試合に出るチャンスが増える。
 身長は必ず伸びるから、自分に合ったプレーを全力でやってください。

奥田 浩貴


「菅フェニクッスで学んだこと」

 僕が菅フェニックスを選んだ理由は僕の父の知り合いが教えてくれて、体験にも一緒についてきてくれたからです。体験では楽しく、先輩が優しくて、良かったです。僕は入るのを決意しました。
 入ってからは練習はきつかったです。でも得られる事が多かったです。僕は足が遅いです。僕は菅フェニクッスの練習をやったおかげで足が速くなりました。
 菅フェニックスには野球の技術以外にも礼儀作法を教えていただきました。礼儀作法はいろんな所で活用できます。学校生活や面接です。僕は特に面接が役に立ちました。
 僕は菅フェニックスでいろんなことを学ぶ事ができました。
 野球の技術、礼儀作法。この二つ以外にもまだ多くの事を学べると思います。
 知らない人達が多いけれどすぐ仲良くなれます。
 菅フェニックスに入って本当に楽しくて、良かったです。

加藤秀也


「菅フェニックスの魅力」

 私は菅フェニックスで多くの事を学び、多くの事を経験し、多くの事を身につけました。菅フェニックスでは、監督やコーチが熱心に指導してくれ、野球のテクニックを教えてくれるのはもちろん、いつも身近で支えてくれている両親への感謝の気持ちやOBの方々等への挨拶、これら社会の常識を教えてもらえることはこの菅フェニックスの魅力だと思います。
 菅フェニックスでは毎年合宿があります。その合宿では個々が自分の欠点の克服や得意なことを伸ばしたりするような目標を立てて合宿に励みます。合宿先ではその目標を達成させる設備等が充実しており、また、練習以外にも心を強くできたり積極性を持つことができるようになったり、先輩を敬う心を持つことができるようになる様々なイベントがあります。
 菅フェニックスでは毎年ある多摩川のゴミ拾いに参加して多摩川の美化に協力しています。そうして地域にも貢献しています。
 上記のように菅フェニックスは明るく、楽しく、地元にも貢献でき、沢山の思い出ができ、第二の家と思わせてくれる魅力たっぷりのチームです。

嶋田 一成


「私が菅フェニックスで学んだ事」

 私は中学生になって、レベルの高い野球をするために菅フェニックスに入団しました。
 フェニックスの練習は自分が思っていた以上に内容が濃く、時には辛いと思う事もありました。しかし、その厳しい練習を乗り越える事で、私は二つの大事な事を学ぶ事ができました。
 一つ目は、自分を信じる事です。練習が辛くなり、いくらやっても無駄だと思う人がいるかもしれません。しかし、自分がした努力は必ずかえってきます。私自身もなかなか打てず自信喪失している時、監督やコーチは必ずアドバイスをして下さいました。それに基づき毎日素振りをしたり走りこんだり努力して練習した事で、試合でも打てるようになりました。そして、私は自分を信じ努力し続ける事が大事だと気付きました。
 二つ目は、感謝する事です。日々、練習や試合を通して野球の技術だけではなく礼儀なども指導して下さる監督、コーチ、先輩方への感謝は勿論の事、自分の両親への感謝も大事なことだと学びました。菅フェニックスで野球をするためには親のサポートが必要です。当番や遠征時の車出し、合宿時の手伝いなど色々なサポートをしてもらいました。なんとなくそれが当り前の事のように思ってしまいがちでしたが、決して当たり前な事ではなく感謝の気持ちを持たなければならない事に気付きました。
 この二つ以外にも入団した事でたくさん学ぶ事ができ、そしてそれを振り返ってみて菅フェニックスに入って良かったと改めて感じています。

                           藤本 涼太郎